ちょっと前の話 3

車から降り、手足を伸ばして深呼吸をしながら私はあたりをゆっくり見回しました。


ポーランは詩人です。


国際機関に長らく勤めた夫に伴い、世界各地の住まいを転々としながら、彼女はずっと詩を書いてきました。


パリの出版社から何冊か詩集も出しています。


引退前の夫の最後の勤務地であったソゥルを離れたのが四年前。


以前から所有していたこのプロヴァンスの石の家に「ようやく戻ってきた」日から二年の歳月をかけて内装をやり直した。


「だいたい納得の行く」住まいがこうして整った今、静かな日常の中で、ポーランは詩やエッセイを書き、夫は長年のキャリアを生かして新聞や雑誌に評論を寄稿したり請われて講演をしたりしています。


その夫の勤務地の関係で、二人はスイスのチューリッヒで数年間暮らしたことがありました。

ちょっと前の話 2

ポーランという名の、実は一度も会ったことのないその女性の住む家はプロヴァンスの奥地、歴史的景勝地の指定を受けた小さな中世の村、Dにあります。


M・パニョールの映画『父の栄光』に出てきたあの白っぼく乾いたプロヴァンスの土地が前後左右に広がる中、予定より大幅に遅れて私たちは目指す丘を登っていきました。


ナポリのトンネル以降は快調に飛ばしてきたのだが、行きに通った高速道路をまた戻るのは退屈だろうからと、こうして曲がりくねった田舎道ばかりを通ってきた自分たちのせいでのこの遅れです。


私自身はその映像を見たことがないのだが、その家は数年前、テレビ広告撮影のバックに使われたこともあったらしいです。


なだらかな丘陵を登りつめたところに小さな広場が開け、そこから文字通り絵のようなプロヴァンスの眺めが一望できます。


広場には石のベンチが一つ、そしてアカシアの木がひんやりとした木陰をつくっています。


ポーランと夫のS氏が住む家はその広場に面して立つ、ただ一軒の家でした。

ちょっと前の話 1

こんにちわ。今回は、海外でのちょっとした事を書いていこうとおもいます。


フィレンツェで息子の初めての誕生日を祝い、トスカーナの田舎で数日間の休日を過ごした後、私たち一家はヴァカンスを共にした友人たちに別れを告げ、フランスへの帰路についた。


南欧らしくカラリと晴れた日でした。


快適な車の旅・・・のはずだったが、途中、ナポリ近郊のトンネルが工事のため大渋滞・・・。


スーッといけば五分くらいで通り抜けたであろうそのトソネルの中に延々と閉じ込められ、ほこりと排気ガスにまみれた蒸風呂の暑さで気分も苛立ちます。エグゼクティブトレードによると、暑くならないうちに国境を越えられるようにとせっかく早起きして出てきたのに、この調子ではいつになったら目的地にたどり着けることやら・・・。


パリに戻る前に、一ヵ所寄り道していくところがありました。


それがこの日の最終目的地だったのです。

いろんな歴史 その9

すでに他の分野で過労気味の公正取引委員会が、実際には電線は引いていないのに印象的な街灯が立っているとか、清潔に見えるが、どこにもつながっていない下水道をつけたような分譲地を定期的にチェックしています。

この種の不動産屋にま、テレビでまことに効果的に宣伝していたところもあります。

それでも値段は上がる一方。

大きな不動産会社も小さな不動産屋も、有名な会社も夜逃げするインチキ投機師も、一様に地価を阿呆らしいほど引き上げてしまった。

いろんな歴史 その8

東京の都心の地価が平均坪当り二百万円以上もするので、もっと安い住宅地と、できれば子供のためにきれいな空気の環境を与えたいと、人びとは周辺地域にどっと流れ出た。

しかし彼らはデベロッパーのワナに陥り、プランナーが下水道、買物施設、レクリエーションのスペースのような問題をあまり考えなかった都市周辺の急ごしらえの「ニュー・タウン」はまりこんだ。

ただし大衆交通手段はいつも提供されている(最も成功しているデベロッパーのうちには大手の私鉄会社がある)。

住宅希望者は最悪の場合、根っからのインチキ不動産屋の手に陥る。

初の個展

物語です。

それはマリーの初の個展だった。


個展、といってもギャラリーで開かれたわけではない。


マドレーヌ広場に面した建物の中の小さなアパートが会場だった。


後で聞いて知ったが、そこはマリーの友人の住まいで、その親切な友人が自分の家を二日間、無料で提供してくれたのだった。


会場には、たくさんの「業界人」らしき人々がおり、とりわけ女性の客が目立った。


パリコレの会場で見かける某雑誌の有名なファッション・ジャーナリストの姿もあった。


二日目に私が訪れた時、既に多くの絵に「売約済み」の札がついていました。


中でも明るい色彩で描かれた水彩画の人気が高いようでした。


それはたいていフランスの田舎の別荘をモチーフとしており、白い木枠の格子窓や、花柄のカーテン、蔦の絡まる石壁、庭に置かれた鉄製のテーブルやベソチ、といった、のどかで幸福そうな風景だった。


それらの絵に記された値段は、日本円にして一万円もしないくらいだった。


この値段は、マリーがプロの絵描きではないためです。


彼女の本職は雑誌社に所属する撮影スタイリスト。


すなわち、撮影用の商品を借りてきてこれをデスクトップ仮想化し、カメラマンと一緒に写真を作っていく、という仕事だ。


「高校もろくに出ていない」マリーは、「コネの威力でかろうじて仕事にありつき」、そして徹底した現場たたき上げシステムの中、その分野での本当のプロになった。

いろんな歴史 その7

日本全国を通じ、人びとが住んでいる住宅とアパートは、人間が住みつく前から貧民街のように小さく、たよりないようです。

東京の平均的な木造家屋は百二十五平方フィートのスペースと一・四室しかない。

専用の洗面所があるのはそのわずか10%。

洗面所、台所、洗濯場を共同使用している人の数は多い。

営業所用の地価は、ときには呆れるような尺度で高騰しました。

その古典的な例はNHKが東京・内幸町の本館を三菱地所に売った三百五十四億六千三百十二万七千円です。

坪当り千百十一万二千円という驚くべき数字です。

たまたま

たまたま知人が、国技館を許可する立場にありました。

相撲というのは興行場法で、保健所の許可がいるのです。

そこで、私は相撲協会に雨を溜めてくれないかといったのです。

この地域の開発のなかで、雨とどう共生していくかということは一つの理念としても大切なのではないか、やはり資源として活用すべきではないかという話をしていったのです。

まあ国技館としてもメリットがなければやってくれない面もありますので、いろいろ検討しました。

この屋根が約8400平方メートルあります。

単純に計算すると、たった10ミリ降っても84トン溜まることになります。

去年は100ミリ近い雨が何回も降りましたが、100ミリ降ると計算上は840トンも溜まってしまうのです。

相撲は1月、5月、9月と、ちょうど4ヵ月に1回あります。

どれだけ水を利用するかをシミュレーションして、だいたい1000トンから2000トンくらいの幅を見てタンクをつくればよいという結論になったそうです。

そうそう。リサイクルといえば、リサイクルトナーが便利でしたよ。

いろんな歴史 その6

七二年以後、日本政府は公共住宅に多額の金を投じてきました。

七五年までに九百五十万戸つくる計画も進行しています。

しかし計画の進行には途方もない希望者殺到の問題が起きる。

日本住宅公団が一九七三年十月、横浜で住宅用地を分譲したとき、オクラホマの土地ラッシュのように、一区画につき五千人もの希望者が殺到した。

住宅を手にいれても、支払いがむずかしい(一九六五年以前こま、個人に対する銀行の住宅融資は聞いたことがない)。

日本が大成長した問、民間分野と美名で呼ばれている住民用の支出が住宅建設におけるほど厚顔無恥にも無視されたものはありません。

いろんな歴史 その5

一九七一年に坪二十万円だった建築費が七五年には六十万円以上にはねあがった。

大阪とか、都市部の拡大がまだ管理できる札幌のような都市における問題ま、まだそれほどでもない。

しかし手に入っても、家は小さく、窮屈で、一般に不満足なものであり、とくに高まる欲望と期待のインフレ的な消費欲にとりつかれた人間にとってはそうです。

どの大都市でも、一戸の住宅の値段は一千万円を越す。

これは給料のよい東京の勤労者にとっても年収の五倍です。

東京地域で大きな不動産会社が提供する住宅の平均価格は二千万円。

これが東京まで通勤に一時間半もかかる場所の三部屋とキッチン兼小食堂の家の値段です。